前畑秀子 
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前畑秀子とは

3分でわかる金メダル

1936年NHK河西三省アナウンサー(ベルリン金のラジオ実況放送)

日本人女性初の金メダリスト

時代を遡ること約80年前、1936(昭和11)年のベルリンオリンピックで日本人女性としては初となる金メダルを獲得したのが橋本市出身の前畑秀子です。オリンピックのラジオ実況中継が初めて行われたことと、「前畑ガンバレ!ガンバレ!」を23回、「勝った!勝った!前畑勝った!」を12回連呼した伝説のアナウンス(NHK河西三省)に日本国中が歓喜と興奮に包まれました。

椙山高等女学校(椙山正弌校長)と運命の出会い

平泳ぎと椙山高等女学校の出会い

前畑秀子は1914(大正3)年に橋本市で生まれました。家業は豆腐屋で経済的に苦しい幼少期を過ごしました。小学3年生の時、4年生以下で唯一1,000mを泳ぎ切り翌年に新設される水泳部の入部資格を得ました。しかし当時の学校にはプールがなく、紀の川に天然プールを作って練習を行っていました。この時、秀子は運命の平泳ぎと出会い、めきめきと頭角を現すこととなります。 入部1年後、11歳(尋常高等小学校尋常科5年生:現在、小学5年生)で50m平泳ぎ日本学童新記録。13歳(尋常高等小学校高等科1年生:現在、中学1年生)では早くも100m平泳ぎで日本新記録を樹立するなど才能の片鱗を垣間見せていました。市内の学校に通う秀子は15歳(高等小学校:中学3年生)の時、日本女子の体育教育を奨励していた名古屋市内の椙山高等女学校(現在:椙山女学園)より学費や寮生活などの支援を受け編入。国内初の室内プールを完備する同校に入学したことで国内の水泳大会では記録を更新し続けオリンピックを目指して行くことになりました。

両親の死を乗越え二度のオリンピックへ

両親の死を乗越え二度のオリンピックへ

しかし、熱心に練習に打ち込む16歳の秀子のもとに電報が「ハハシンダ スグカエレ」母の訃報が入り帰郷しました。深い悲しみの中、その5ヶ月後に同じ病気で父も亡くなってしまいました。度重なる不幸で精神的支柱を失った秀子ですが、当時の椙山正弌校長の全面支援と周囲の人々が支えてくれたおかげで秀子18歳の1932(昭和7)年のロサンゼルスオリンピックに出場が決定しました。五輪初舞台となった女子平泳ぎでは惜しくも0.1秒差で2位となりました。秀子は力を出し切り勝ち取った銀メダルに満足していましたが関係者や日本国民からは「悔しい、次回ベルリンでの雪辱を期待する」など大きな反響がありました。引退か続行かで苦悩する中、椙山正弌校長からも次回オリンピック出場を強く進められ、秀子は大きなプレッシャーと体力の維持に葛藤しながら、毎日、朝・昼・夜と3回に分けて2万メートルを目標に4年間泳ぎ続けました。 周囲からの期待を背に挑んだ4年後(秀子22歳)のベルリンオリンピック、「もし、金メダルが取れなかったら帰りの船から身を投じよう」と、秀子はドイツに向かう船内で日記に記されています。

1936(昭和11)年メインポールに日の丸。【その後も水泳に関わり続けた】

1936(昭和11)年メインポールに日の丸。【その後も水泳に関わり続けた】

両親の死、様々な重圧で押しつぶされそうになりながらも女子200m平泳ぎで日本人女性初となる栄光の金メダルを獲得しました。宿敵地元ドイツ選手のゲネンゲルと僅か0.6秒差でした。前回の雪辱を果たすと共に日本国民の溜飲を下げることが出来たのです。 前畑秀子は選手引退後も水泳と関わり続け、名古屋市瑞穂プールで全国初の水泳教室を始めた。その後もスイミングクラブを開校するなど子どもからシルバー世代にまで指導を行い貢献しました。同時に文化功労者・勲三等瑞宝章・紫綬褒章などの数々の賞を受賞しました。加えて国際水泳連盟の殿堂入りを果たし、女性が社会進出するシンボルともなりました。1995年、80歳で惜しまれつつ亡くなりましたが彼女の残した功績は計り知れないものとなり現在でも国内外問わず称えられています。

  • 「前畑がんばれ!」23回連呼NHK河西三省アナウンサーの歴史に残る実況中継放送。日本中を興奮のるつぼにした。
  • 和歌山県橋本市出身(橋本市15年間、名古屋市16年間、岐阜市49年間在住)
  • 1991年【平成3年】NHKテレビドラマ「前畑がんばれ!」放送2時間
  • この栄光には想像を絶する「努力」があった。現役引退後も積極的に水泳に関わり、後進の指導に努めた。69才で脳溢血で倒れてからも、懸命のリハビリで克服し、プールに戻るという、不屈の精神と努力をもって、水泳一筋の人生を歩まれた。
  • 女性が社会進出する黎明期のシンボルであった。その前畑秀子の波乱万丈に満ちた人生と、その偉大さを「NHK朝の連続テレビ小説」で全国民に伝えたい。

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